2010年10月

2010年10月30日

創業60周年記念式典に出席して

当社の売上げ一番のクライアントさんの創業60周年記念式典に出席して来ました。

北海道から九州まで支店があり高崎が本社です。

年商240億で、純利が6億とのことですのでまあでかい会社です。
そうそうたるメンバーが集まっていました。外人さんもいました。

で、なんで俺が招かれるわけ?てなもんです。
二百数十名くらいで、大きい会場で当然ですが末席ですが。。

印刷会社は3社。
今、危機管理の事もあり1社のみというところは少ないでしょうからまあいいのですが、両隣は群馬を代表するような印刷会社の社長と営業部長。

”ゲッ、どうしましょ・・まあいっか”

・・・そこは同じ人間で同じ業種、どっちが偉いだの凄いだのとはなく、色々話しが出来てよかったです。

最近代替えになった社長は46歳。
印刷に入る前は東京の広告代理店で揉まれたようで、そつがない、動きもスマート。
こりゃ、俺とは次元が違うわ・・・でしたが勉強になりました。

東京支店に単身のような形でいて、夜7時20分の飛行機で大阪へ行くとのことで酒は呑みません。
何も食べないので「召し上がらないのですか?」と聞くと羽田まで車で行くので食べると寝てしまいそうだからとのこと。相当お疲れのようでした。

「疲れます、体力があと10年持つかどうか分かりません」と言っていました。
さすがにでかい会社の社長ともなると責任も何も全然違うのだと実感。


スピーチで「三流の経営者は金を残す。二流の経営者は事業を残す。一流の経営者は人を残す」とありました。・・・(はっ、俺、五流じゃん・汗;)

企業寿命30年といわれる中、60年。それも伸ばして来たのは凄いこと。

別のスピーチで「鷹は70年生きる。35年くらいの時に体はボロボロになり飛べなくなる。どうするかというと・・・」
話が長くなるのでやめますが、要は長く会社を続ければいいのではなくて、常に次を考えなければならないということでした。

当社は創業昭和38年・・・まさに長いだけ(爆)

”なんかさあ、勘違いして、言い訳こいて、怠けて来たんだなあ”とつくずく思い知らされた式典でした。

momorara2 at 18:53|PermalinkComments(6)TrackBack(0)clip!

2010年10月27日

金の事は疲れます

今月末には実行になるだろうと言われていた融資。
昨日担当者から電話。保証協会から連絡で、信金のリスケの更改処理が終わってないので終わるまで受けられないとのこと。

信金の1年のリスケの更改は今月20日。
葬儀などでバタバタしていたのと、それよりメインの融資を先にと信金を遅らせていた。
20日前に終わればいいが、終わらなかったのに信金を伸ばしていた。

まずった。

あったりめえだ。延滞扱いになっているのだから新規の保証をするわけがない。

明日信金が保証協会へ持ち込むが、月末も絡むので信金に戻るのが来週いっぱいか。
その後処理を終わらせ、メインが保証協会へ行き、承認が出るのが10日くらいだろう。


先月末の給料も妻に渡せていない。

社保料や税金を後にするのはどうって言うことないとしても、20日の業者支払いを月末と言っていたのに、また延ばしてもらうしかない。

嫌だなあ、言いたくないなあ。。

んなこと言ったって仕方ない、明日電話しよう。


でもこれで融資実行になったら凄いな。
バブルの頃の3分の1になっている売上げ。
年商の3倍近い過剰債務、年商を超える債務超過・・・普通は絶対に貸さない。
昨年末の緊急保証もよく出たと思ったが、今回も振興銀行の分が増えているのによくメインが受けたと思う。
振興銀行の破綻による資金繰り支援という名目の6号認定だから、金融機関も保証協会も実績残しをしたいのかもしれない。

借りてばかりじゃ変わらない。返済総額が増えるだけ。
累積赤字で過剰債務、債務超過を5年。遅くとも8年で解消するぞ!!

momorara2 at 17:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2010年10月16日

義父の急逝

10月11日午前未明、自宅、自室にて急逝いたしました。享年71歳です。

あまりにも突然でした。だれにもみとられず一人で逝ってしまいました。

亡くなる前日、夜11には元気でしたが、次の朝義母が気付いた時には冷たくなっていたそうです。
その時の母の驚きは想像を絶します。

11日は私は会社に来てリスケの書類や新しい事業の関係を吟味しようと思っていました。
義父は最近また食べられなくなっていると聞いていたので、妻と娘は実家に行って様子を見に行くことになっていました。

朝9時半頃だったか電話が鳴り妻が出て、「エーッ、・・・」

”どうした?!何があったーーっ!!”

「パパが、パパが死んじゃったーー」

・・・そこからは半狂乱。
2階で寝ている子供にものすごい声をかけ、私と妻は着の身着のまま先に出かけました。


実家に着くと警察の検視の最中で、終わるまでは誰も部屋の中には入れてくれません。

このような亡くなり方の場合、警察の検視と医師の検案があります。

義母と私が警察から説明を受けました。

結果は他殺等ではなく病死。死因は「心疾患の疑い」でした。
心不全、心筋梗塞などの特定はできず、死亡時刻も午前未明ということです。

本当に亡くなってました・・・。顔をさわったら冷たくて。。話しかけても答えないし。。


義父は昨年、食道癌が発覚しました。
癌細胞は缶ビールほどの大きさで、物を飲み込めず栄養失調になり、体力を奪われ、みるみる痩せ細り、もうだめかという状態の時もありましたが、奇跡的な回復を見せ、完治を願い、危険度が高いと言われる食道がんの手術も克服しました。

今年7月退院後は今まで十分すぎるほど働いた、もう休めと言うこと。
これからは趣味を作り、温泉旅行などゆっくり楽しめる時間が出来る。これからだというのに今回のことで残念でなりません。

お酒が好きでした。カラオケが好きでした。

息子が12月に二十歳になります。
二十歳になったら男同士3人で飲みに行こうと約束していましたが、それもかないませんでした。

最近では母に隠れて少しのんでるようでした。
堂々と飲まなかったのは、今まで長年心配や苦労をかけて来た母への感謝の念があったからだと思っています。


父が食道癌になったことで思ったのは、物が普通に食べられるということ、飲み込めるというなんでもないことが如何に幸せであるか。
今回の事は、人間いつ何があるか分からない。突然かけがえのない大切な人を失うこともある。
今日が最後だと分かっていたら人にも優しく出来るはず。
その気持ちを忘れずに日々生きろ。と言われた気がします。


友引の関係で通夜が13日、葬儀および告別式が14日でした。

妻は二人姉妹の長女で、妹は5歳の時発症した再生不良性貧血で21歳の時他界しました。
父は39年に起業依頼45年間働き詰めでした。
忙しい中数々の役をこなし、県の副理事長を務め、功績が認められ厚生労働大臣表彰されるような人だったので婿が欲しかったのですが、嫁に出してくれました。

喪主の義母に代わり遺族ならび親族を代表して私が挨拶しましたが、そのような立場ですから、亡くなった日の様々な手配やご会葬いただいた方々、親族の方の接待等あり本当に疲れました。

15日は朝から会社に来ましたが、抑え込んでいた疲れがどっと出たのかフラフラで、午前中は何とか耐えたのですがどうにも倒れそうだったので病院へ行き点滴を受けて来ました。
今日も朝起きるのがやっとでした。年ですね。

通夜の日、妻と娘は会場に泊まりましたが人数の関係で私と息子は自宅に帰って来ました。
着いて車から出ると空気の抜ける音。見るとビスが刺さっています。「あちゃー、パンクだ」
抜くと音は止まったのですが、これは明日早く起きてタイヤ換えなくちゃだな。。

疲れていたのかすっかり忘れて、本葬の日を迎えました。
思い出してタイヤを見るとペチャンコになっていません。

「走り出すと抜けるかもしれないけど、行こう」

途中一回コンビニで確認したのですが、その後すっかり忘れていました。

本葬のあと斎場にて集骨を終え、私はお骨を持ちバスで実家に向かったのですが、息子がそこでペチャンコになっていたタイヤに気付きました。
「じいちゃんがさあ、一生懸命空気抜けるのを抑えてくれたのかな。。で、斎場では”俺もう駄目。すべて終わった斎場ならいいよな”ってことだな・・・」

それにしてもこれから先どうしよう。年老いた義母だけをあのでかい家に一人はなあ。
家内は家族で引っ越すと言ってるが・・・。色々問題あってまた疲れそうです。

皆さま、くれぐれもお体ご留意、ご自愛ください。





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2010年10月08日

五体満足

先日久しぶりに記事を書いていた時の事ですが、夜7時半ごろ2階の事務所で奇声を聞きました。(言葉悪くてすみません)

記事に集中していたので外から聞こえたのだと思ったのですが、もう一度会社の1階から聞こえたのです。
その声は叫び声のよう。

会社に誰か入ってくるとチャイムが鳴るようにしてあるのですが鳴りません。
入ってきた場合「2階へどうぞ」と貼ってあるので来社された方は2階の事務所に上がって来ます。

階段まで行っても誰もいない。

何か出たか・・・。ゾーッとしました。

また聞こえて、今度はチャイムが鳴りました。
え〜いと1階に行ってみると若い女性がいました。

アーとかウーとか言っています。意味が分かりません。
落ち着いて素振りを見ると、耳が聞こえないと伝えたいらしい。。
で、携帯を差し出して電話するジェスチャーをしています。
渡された携帯を見ると「オートバックス」、車関係の店です。マジで意味が分かりません。
申し訳ないけど日本人に見えなかったのです。それで言葉が分からないのか・・。


女性が暗闇の中、指を差した先にはハザードを点滅させている車らしきものが見えました。
ハンドルを持ち運転するジェスチャーの後、輪を作りくるくる回しています。

話しかけても応答なし。もう意味分かりません。

車までの距離は50メートルほど。行ってみました。
途中振り返り会社を見て誰か入っていかないか確認しました。新手の何かかもしれないからです。
車に行くと男性がいました。見るとどうも日本人には見えないのです。
車に押し込まれて拉致?強奪??

女性が携帯のライトを使って見せたのが大きな石。
で、タイヤを指差し、クルクル回るジェスチャー。

実際に男性がエンジンをかけアクセルを踏み込んで見せました。

なるほど、これは車体が石の上に乗り上げ駆動輪が空回りか・・・。

で、電話をしてくれと携帯を持たせます。
オートバックスに電話すればレッカーか何かで助かると思ったのでしょう。

電話しました。突然なことなので動揺しましたが多分こうだと思うと説明しましたが時間も遅く車も出払ってるとのこと。
電話を切り二人に向かい首を振りました。

さあ、どうする。
耳の不自由な若い二人がなんかの拍子に石に車を乗り上げ動かない、さあどうしよう。
・・・そうだオートバックスに助けてもらおう。
電話したいが声は出るが言葉にならない。
あっ、明かりがついてる、会社かな。電話してもらいに私行って来る。
と言うことで助けを求めて来たわけだ。なんとかせねば。。

さあ、得意の問題解決だ。事情を俯瞰して最善策を見い出せ!
と偉そうに言ってもJAF??。で、俺が電話?お金とかは大丈夫?

とりあえず耳が聞こえないのと私がジェスチャーで確認するとうんうんうなずいています。
字を書くふりをするとうんうんうなずいています。

3人で会社に戻り、印刷屋ですので紙は売るほどありますから大きな紙数枚を取り出し、
「耳が不自由なのですか」と再確認のため書くとうなずいています。

「すみません、日本の方ですか?」・・・苦笑いしながらうなずいています(ごめんなさい)

「ご主人ですか?」と書くと女性が「先輩、後輩です」と書きました。

「乗り上げて前にも後ろにも動かない?」・・・うなずいています。

違う紙に現場の地図を書いて「会社がここ、車はここ。どっちへ行こうとしたのですか?」
と書くとその先行き止まり方面。

女性が携帯を使って説明しています。
対向車をよけようとしたら乗り上げたと言うことです。

これは道間違えたな。先は住宅や小学校があるが通り抜けは出来ない。
駅に行く人は通るが徒歩か自転車。
土地勘のある人は石が置いてあるのは知っているはず。


車はFFか(前輪駆動)・・・四駆なら軽く脱出してるだろうし。。

「車は新車ですか?」・・・いいえ。

「少し車の下に傷が出来てもいいですか?」・・・男性即答で首を縦に。

「そうしましたら私の車で引っ張ります」・・・首をかしげています。

私の車から牽引ロープを持って来て「けんいんロープです」と書き、
どうするかを絵で描きました。

「私が引っ張り始めたのを感じたらバックギアでゆっくり踏み込んで」・・・はい。

「行きましょう」

現場に行きフックを探しました。
私の車はすぐ見つかったのですが、二人の車は見つかったと思ったら位置がバンパーより上。

こりゃ引っ張ったらバンパー上がっちゃうわ。。
と男性にジェスチャーで伝えるとかまわないと言い素振り。

んじゃーやりましょう。。

その前にタイヤと石の確認をして、このままハンドルまっすぐだと石でタイヤ逝っちゃうかもしれないからと目いっぱいハンドルを左に切らせました。

それじゃ行きますよーと合図し、こちらはいちようローギアでゆっくり発信。
負荷を感じた時点でアクセルを踏み込むと見事に脱出。

確認するとやっぱりバンパー1センチほど浮いてました。
女性が気にしてましたが男性は”こんなものはいいよ”と言うようななんと言うかオーラ。
手を合わせ丁寧にお辞儀をされ帰りました。


それにしても無音の世界はどんな感じなのでしょう。
エンジン掛けても音は聞こえない・・。

日本だけで耳も目も両方不自由な方が2万人いると言われています。
それも生まれつきではない、目が見える、音が聞こえる感覚を知っている人が人生の途中で患ってしまう方もいるのだそうです。
触覚、味覚、臭覚だけの世界です。想像を絶します。

五体満足であることの喜びと幸せをかみしめ日々暮らして行かないと罰が当たります。

でも、大変な時はそれ忘れちゃいますけどね。


極度の難聴に陥ったベートーベンは骨伝導のようなものを利用して作曲を続けたと言われています。
この先骨伝導が発達すれば聞こえるようになるかもしれません。
そうすれば自分の発した声を認識できますので言葉として話せるようになります。

医学の進歩を望みます。早くその日が来るように!

不適切な表現、言葉は平にお許しください。

momorara2 at 19:13|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2010年10月01日

生き残らねば

今後どうするにしても今必要な金がいる。

先日も普通の人は縁のない方法で調達したし、子供二人が小さい時作った定積みを解約した。
将来子供が結婚する時にでも渡そうとしていたもので、これだけはと思っていた。

金額は一人5万5千円と少ないが、日付は作った日付・・・渡したかった。

金がない状態で追いつめられると人間おかしくなる。

先日、息子も不満があり(と感じられた)、家内は疲れ切った表情と雰囲気。
放心状態な感じもあり、家族が崩壊するような気分になった夜があった。

が、そこは家族であり親子、絆は深い。今は普通になっていると思う。


息子といえば大学を辞める事になった。
多分金の事があると思う。
私がだらしないために皆につらい思いをさせる。

息子曰く、大学に疑問を持ち、音楽を極めるよりも違うことをしたいという。
音楽はピアノは好きなので続ける。ただし、クラシックではないと言う。

文学部当たりの私立の大学に行かせてもらい、アパートに住まわせてもらい、仕送りで遊び、キャンパスライフがどうのこうのというような甘ちゃん大学生とは息子は違う。ビジョンを持っている。
ただし如何せん、まだ今年二十歳。経験や知識は少ない。

ただ我々にはないものを持っている。

毎年腐るほどの音大生が卒業する。その中で音楽を職と出来る人は一握。

まだまだ、若い。時間はたっぷりある、焦ることはない。
なんならまた東京の音大入ることも不可能ではない。

大卒という資格にも興味はないと言い切る。
まあ、これからはますます「大学は出たけれど」になるだろうし、公務員が安泰なのもあと20年だろう。

将来は起業したいと言っている。そのための勉強もすると言う。

家内は反対・・・無理もない。

”男は稼いでなんぼ。こんなのと結婚するからかわいそうに。でも離婚はしないよ”と私が言うと家内が「かわいそうにしない人になって」と息子に言った。

すかさず息子が妻に向かい「そうマジで思うなら今すぐ離婚して。やっちゃん(私のこと)に失礼だから」と言った。

ありがとう、そう言ってくれて。家内もそう思っているわけではないと思う。


先日ある方にコメントをいただいた。

>いままで付いてきた可愛い奥さんはネギシさんが幸せにしてあげてね。
>そうじゃないと、今までの日々が「苦労」でしかなくなってしまうから。

この言葉は効いたな。。




金は借りてばかりじゃ変わらない。いや、変わる、返済が増える。
出来る事なら借りたくはない。なぜなら有利子負債。

でも、今を生きるための金をと申し込んだ融資2件・・・お断り。

振興銀行のこともあるので http://www.meti.go.jp/press/20100910002/20100910002.pdf
日本公庫に行ってみた。

お役人と同じ組織のようなものだから期待はしていなかったが、案の定、借り換えも新規も駄目。
その代わり昨年9月に行ったリスケの再見直しをしますと珍しく提案があった・・・珍しい、なんかわりいもんでも食ったか、熱でもあるか。。

代弁に持ち込んでも日本公庫は保証人がらみなので払おうと思っていたので、月の支払いが減れば助かる。


ここまで来るともう疲れ切り、家内も目が泳いでいる。

なんとかせねばと昨日朝、メインバンクの支店長に電話した。

お時間をちょうだいしたいと言うと気持ちよく了解してくれた。
こんな吹けば飛ぶような、法人とも言えないようなちっぽけな会社の社長をよく相手にしてくれると感心する。

伺い、今の状況等を説明。
振興銀行の件で新規をお願い出来ないかとダメ元で言うと、”調べて動いてみます、やりましょう。必要書類が分かったら動いてください。”・・・今までもうメインではと思っていたのでビックリ。

他にこの支店長ならと「支店長、代位弁済に持っていこうかなと思っているんですが」

”代弁ですか?・・・でも債務は保証協会に残りますよ。それに競売になります。”

「プロパーを除き代弁にしたいのですが、メイン、保証協会、メインと2,800万の根抵当で共担ですからそれは出来ないと思います。
○銀さんにすれば保証付きは保証協会から回収できますね。プロパーは1番で○銀さんですから取りっぱぐれはありませんね」

”6号認定の融資が決まっても代弁をお考えですか?”

「いや、それはすぐにはないです」

と言うとニコッとして、”社長、頑張りましょうよ。代弁は最後の手段にしましょう”

・・・代弁になればメインとすればウハウハなはずなのに・・・。

社に戻り家内に報告。
「よくしてくれるね。優しい人だね」・・・さっきまで死んだような顔してた家内が復活。

まだ決まった訳ではなく希望が持てただけだけど、この気持ちのままとりあえず来週を迎えられるのはありがたい。


それにしても不景気すぎる。悪循環がひどい。
与党も野党も目クソ鼻くそ。自分で何とかしなくてはならない。

床屋さんにも行きたい、服も買いたい、外食もしたい、車も欲しい。人材も欲しい。

民間の平均給与が先日出た、400万くらいか。公務員は平均700万の上でしょ。

当社よりひどい、遥かにひどい財務状況、累積赤字で過剰債務、債務超過のこの国の組織の連中がなんでやねん。

公務員給与総額35兆円の2割カットを求めます。7兆浮きますよ。
政治家一人年間1億円だよね。・・・5割カット。だから嫌なら辞めろ!大きな勘違いは国を滅ぼす!!

あと中小零細企業手当ちょうだい!


暇だからと傷の舐め合いをしてる場合じゃない。
印刷だけじゃ当然駄目だし、他にもやってるが口だけは達者で今一状態。

そんな状況下で仕事の誘いが来た。

混沌とした世の中で、殺伐とした人間が増えるであろう中で需要の見込める事業。
経産省認定、特許出願中。
研修を受けたい。でも、ちょっと遠い。
私の車は「いつハンドルが利かなくなるかもしれない、サスガいかれるかもしれないから気を付けて」と修理屋さんに言われてる新しくない車。高速には乗らない方がいいだろう。どうしよう。。


暇な時はこの事業を昼間やり、夜と休みはネット関係を頑張ろう。ネットもアフィリだけじゃだめだ。
稼ぎの柱を増やし、稼ぎの構造の再構築・・・なんて寝言言ってねえで動くんだぞ!口だけヤロー!!

とりあえずは飛び込み営業だな。
営業は今までいくつか経験した。テレビ関係の営業はほとんど飛込みだった。
最初は好きな製作で入った。25歳で製作部次長になり、後輩を育てるため番組を渡した。

特番くらいになったので、営業をやってみたいと言ったら営業部は大歓迎。
製作部の部長は「一度営業に行ったら戻れなくなるから止めろ」と言ったが、・・・その通りになった。

営業に行くと「何しに来た?おまえは何者だ?」という顔をされる。
営業に行く方も来られる方も怖いもの。

製作の時はもう金を出すと決めたクライアントだから、ローカルでもテレビ局の取材になるので待遇は良かった。
営業とはこんなにも違うのかと思った。天と地の対応の差。営業が頑張ったから製作はいい思いが出来たんだなと思った。

26歳位の時、製作部だけのクリスマスパーティに営業部では私だけ誘われた。
その時に出逢ったのが今の妻。

で、父に会社を継いでくれと言われ(本人は言ってないと言うが、言われなければ好きな仕事を続けてた)27歳で今の会社に入った。

あのまま続けていればよかったかな。。


いやいや、選んだの自分、頑張ろう。

momorara2 at 20:13|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!